ナンデモ解決!勉強ブログ
2021.11.29
世界史から学ぶEUの起源②
前回の記事でEU並びに前身のECの
起源にはフランスとドイツという大国の
対立があると書きました。
今回はその1つ目の
アルザス=ロレーヌの問題について
述べます。
アルザス=ロレーヌ地方というのは
ドイツとフランスの間にある地方で
石炭や鉄鉱石という経済発展にとても
有用な資源が取れました。
このような資源の豊富な地域柄
歴史的にフランスとドイツの間で
取り合いをしていた地域でした。
この取り合いはなんと200年くらいも
続いていたと知るとその因縁たるや
深いものがありますよね😭
もともとこの地域は神聖ローマ帝国
という帝国に属していました。
神聖ローマ帝国というのはものすごく
簡単に言えばドイツの元になった帝国です。
当時神聖ローマ帝国はドイツの
前身であるプロイセンやドイツの隣国の
オーストリアだけでなく、ブレーメンや
ハンブルクなど今のドイツの都市が一同に
集まった都市国家による帝国でした。
当初はアルザス=ロレーヌも
神聖ローマ帝国の支配下にありました。
しかし、フランスは虎視眈々とその
地域を狙っていたのです。
そひて、1648年に30年戦争が起きました。
新教(プロテスタント)vs 旧教(カトリック)
(当時神聖ローマ帝国は旧教側、フランスは
新教側→理由はあるが割愛)
その際の講和条約で、フランスは
神聖ローマ帝国からアルザス=ロレーヌの
一部分をぶんどりました。
そしてフランスの絶対王政がさらに強化され
国力が高まると、フランス国王であったルイ14世は
自然国境説をとなえ侵略戦争を繰り返して
その結果アルザスの獲得に成功します。
そしてその後フランスはロレーヌも完全に
フランス領におさめようとするがそれは
失敗。ただ、この状況からドイツに因縁を
付けられていたことは確かです。
そして両国の関係がさらに恨み合いになる
最悪な戦争が起こりました。
それは、1870年にフランスとプロイセンの
間で起こった普仏戦争でした。
この戦争フランスの指揮をナポレオン3世
プロイセンの指揮をとったのがビスマルク
でした。
結果はドイツの勝利。ドイツは
アルザス=ロレーヌの大部分を奪い返し
ました。
そしてあろう事か、フランスの国王の住む
ヴェルサイユでプロイセン→ドイツ国王への
戴冠式をやってしまったのです。
フランスはその行為に対してものすごい
屈辱をうけました。恨みがMAXまで上がります。
ものすごく長くなってしまったので今回は
ここまでにします。
ただ、ここから学べることとしては
「恨みは率先して買うな」
です。倍返しだ!という言葉が流行りましたが
それをやるといずれ自分の身を滅ぼすだけでなく
周りの人間にも影響が出ます。
次の記事でこの後のことを書きますが
それは悲惨です。
あのユダヤ人の方々をを大量に殺害した
ヒトラーを産んだのもこういう出来事が
密接に関係していると言えます。
恨みは買っては行けません。
ぜひその教訓を世界史から学びましょう。
起源にはフランスとドイツという大国の
対立があると書きました。
今回はその1つ目の
アルザス=ロレーヌの問題について
述べます。
アルザス=ロレーヌ地方というのは
ドイツとフランスの間にある地方で
石炭や鉄鉱石という経済発展にとても
有用な資源が取れました。
このような資源の豊富な地域柄
歴史的にフランスとドイツの間で
取り合いをしていた地域でした。
この取り合いはなんと200年くらいも
続いていたと知るとその因縁たるや
深いものがありますよね😭
もともとこの地域は神聖ローマ帝国
という帝国に属していました。
神聖ローマ帝国というのはものすごく
簡単に言えばドイツの元になった帝国です。
当時神聖ローマ帝国はドイツの
前身であるプロイセンやドイツの隣国の
オーストリアだけでなく、ブレーメンや
ハンブルクなど今のドイツの都市が一同に
集まった都市国家による帝国でした。
当初はアルザス=ロレーヌも
神聖ローマ帝国の支配下にありました。
しかし、フランスは虎視眈々とその
地域を狙っていたのです。
そひて、1648年に30年戦争が起きました。
新教(プロテスタント)vs 旧教(カトリック)
(当時神聖ローマ帝国は旧教側、フランスは
新教側→理由はあるが割愛)
その際の講和条約で、フランスは
神聖ローマ帝国からアルザス=ロレーヌの
一部分をぶんどりました。
そしてフランスの絶対王政がさらに強化され
国力が高まると、フランス国王であったルイ14世は
自然国境説をとなえ侵略戦争を繰り返して
その結果アルザスの獲得に成功します。
そしてその後フランスはロレーヌも完全に
フランス領におさめようとするがそれは
失敗。ただ、この状況からドイツに因縁を
付けられていたことは確かです。
そして両国の関係がさらに恨み合いになる
最悪な戦争が起こりました。
それは、1870年にフランスとプロイセンの
間で起こった普仏戦争でした。
この戦争フランスの指揮をナポレオン3世
プロイセンの指揮をとったのがビスマルク
でした。
結果はドイツの勝利。ドイツは
アルザス=ロレーヌの大部分を奪い返し
ました。
そしてあろう事か、フランスの国王の住む
ヴェルサイユでプロイセン→ドイツ国王への
戴冠式をやってしまったのです。
フランスはその行為に対してものすごい
屈辱をうけました。恨みがMAXまで上がります。
ものすごく長くなってしまったので今回は
ここまでにします。
ただ、ここから学べることとしては
「恨みは率先して買うな」
です。倍返しだ!という言葉が流行りましたが
それをやるといずれ自分の身を滅ぼすだけでなく
周りの人間にも影響が出ます。
次の記事でこの後のことを書きますが
それは悲惨です。
あのユダヤ人の方々をを大量に殺害した
ヒトラーを産んだのもこういう出来事が
密接に関係していると言えます。
恨みは買っては行けません。
ぜひその教訓を世界史から学びましょう。