ナンデモ解決!勉強ブログ
2024.03.30
無血の名誉革命!
#入試対策
こんにちは!英才個別学院 井土ヶ谷校の室長の原です!
今回は名誉革命についてできるだけ分かりやすくストーリーをお伝えします!
名誉革命は前回お書きしたピューリタン革命の後におこる革命です。
ピューリタン革命後、クロムウェルさんがリーダーとなって政治をするも、その厳しさに国民は疲れきってしまいました。
そして、やっぱり王様がいて、議会がある制度に戻そう!となったわけですね。
そして、新たに王様として連れ戻されたのがジェームズ2世でした。
ジェームズ2世は前回のピューリタン革命のことを反省して、しっかり議会をはじめ国民の意見に耳を傾ける…
なんてことはしなかったんですねえ(笑)
あろう事かこの愚かな王様はまたも同じ
愚行をしてしまったのです😰
当時、イギリス国内は、イングランド国教会(イギリス国教会ともいう)という、イギリス独自のプロテスタント宗派の人々が大部分を占めていました。
それなのに、、、
自分がカトリックという宗派なので
またカトリックという宗派を国民に
押し付けたわけです。
そして議会の言うことをガン無視!!
歴史から学ばない方です😭
それじゃあ、まとまるものもまとまらないですね😖
ということで、議会、国民がブチ切れて革命、、、
という流れになるのですが、今回は王様は即座に諦めたため、一切戦争になりませんでした。
一切血が流れ無かったので「名誉」のある革命だということで、「名誉革命」となづけられているのですね。
そして、王様についても今回は処刑されませんでした。
ジェームズ2世はカトリック教国のフランスに亡命しました。
これで、名誉革命は終わりをつげました。
そしてイギリスは再び共和制になったのでしょうか?
いえ、違います。
オランダから議会の言うことをしっかり聞いてくれる国王を連れてきたのです。
その国王を「オラニエ公ウィレム」
といいます。
今で言う「ウィリアム」さんですね。
これでイギリスは、憲法をもとに議会で決まったことを王様にしっかり守ってもらう「立憲君主制」がしっかりと作られたのです。
ふたつの革命後、ようやくイギリスはまとまりさらに強くなっていくことになったのです。
こんにちは!英才個別学院 井土ヶ谷校の室長の原です!
今回は名誉革命についてできるだけ分かりやすくストーリーをお伝えします!
名誉革命は前回お書きしたピューリタン革命の後におこる革命です。
ピューリタン革命後、クロムウェルさんがリーダーとなって政治をするも、その厳しさに国民は疲れきってしまいました。
そして、やっぱり王様がいて、議会がある制度に戻そう!となったわけですね。
そして、新たに王様として連れ戻されたのがジェームズ2世でした。
ジェームズ2世は前回のピューリタン革命のことを反省して、しっかり議会をはじめ国民の意見に耳を傾ける…
なんてことはしなかったんですねえ(笑)
あろう事かこの愚かな王様はまたも同じ
愚行をしてしまったのです😰
当時、イギリス国内は、イングランド国教会(イギリス国教会ともいう)という、イギリス独自のプロテスタント宗派の人々が大部分を占めていました。
それなのに、、、
自分がカトリックという宗派なので
またカトリックという宗派を国民に
押し付けたわけです。
そして議会の言うことをガン無視!!
歴史から学ばない方です😭
それじゃあ、まとまるものもまとまらないですね😖
ということで、議会、国民がブチ切れて革命、、、
という流れになるのですが、今回は王様は即座に諦めたため、一切戦争になりませんでした。
一切血が流れ無かったので「名誉」のある革命だということで、「名誉革命」となづけられているのですね。
そして、王様についても今回は処刑されませんでした。
ジェームズ2世はカトリック教国のフランスに亡命しました。
これで、名誉革命は終わりをつげました。
そしてイギリスは再び共和制になったのでしょうか?
いえ、違います。
オランダから議会の言うことをしっかり聞いてくれる国王を連れてきたのです。
その国王を「オラニエ公ウィレム」
といいます。
今で言う「ウィリアム」さんですね。
これでイギリスは、憲法をもとに議会で決まったことを王様にしっかり守ってもらう「立憲君主制」がしっかりと作られたのです。
ふたつの革命後、ようやくイギリスはまとまりさらに強くなっていくことになったのです。
