ナンデモ解決!勉強ブログ

2024.04.08

日本の開国の流れをざっくりと

#入試対策

こんにちは!英才個別学院 井土ヶ谷校 室長の原です!


今回は江戸時代が崩壊するきっかけとなった開国についてざっくり説明します!



そもそも、江戸時代は、1603年から1868年まで続いた時代ですが、1853年に至るまで、江戸幕府は主に鎖国政策を取っていたんです。


鎖国とは、外国との関係を厳しく制限することで、日本はほとんどの外国人の入国を禁じ、日本人の海外渡航すらも大部分を禁止していたんです。
(キリスト教を広めないという約束のもと、オランダなど一部の国とは貿易をしていました。)


しかし、19世紀になると、帝国主義といって、世界の多くの強い国々が植民地を広げていき、貿易させることを求めて世界中を渡るようになってきました。


その中で、アメリカは特に日本に関心を持ち、日本に貿易を再開するよう強く求め始めます。


ただし、もちろんずーっと鎖国をしてきていた国ですから、「そんな簡単に開国するわけにはいかないぞ!」という感じでした。


しかし、、、

1853年、横浜では有名なアメリカのペリー提督が率いる黒船と呼ばれる軍艦隊が日本の浦賀に到着しました。


その姿を見て当時の日本は文明の差にかなりビビったことでしょう。
でかい黒船が4隻もこちらに向かってきた訳ですからね!!


ペリー提督は、日本政府に対してアメリカとの貿易を開始するよう強く要求しました。
もちろん、断ればそれなりの対応をしてきたと思います。


最初は日本はこれを拒否しました。
しかし、ペリーが翌年にさらに強力な艦隊を率いて再来日したことで、日本政府は交渉をせざるを得なくなってしまいました。


その結1854年に「日米和親条約」が結ばれ、アメリカの船が日本で食糧や燃料を補給することの許可は認められました。


この時はまだ貿易はスタートしていなかったのです。


しかし、日米和親条約の後の1858年に結ばれた「日米修好通商条約」によって日本はついにアメリカと貿易をスタートしただけでなく、アメリカに有利な不平等な内容を受け入れてしまったのです。


これを半ば強引に調印したのは「井伊直弼(いいなおすけ)」という当時の𝐧𝐨. 𝟐だった人物です。


この後、他の強い西洋諸国も日本との間に同様の条約を結び、日本は国際社会に参加することになりました。開国は、日本に多くの変化をもたらしました。


外国の文化や技術が入ってきたことで、これまでの日本の産業や社会が大きく変わり始めました。


しかし、この変化は日本内部での対立を引き起こし、最終的には1868年の明治維新へとつながる重要なきっかけとなったわけです。


日本がグローバルに乗り出すきっかけとなった「開国」。ここから短年で一気に変わります!

それではまた!

「やる気になる」
開催中!

授業終了後には生徒の「やる気」に満ちた顔をお見せする事をお約束。
得意・苦手の共有、目標の共有、生徒・保護者様の思いなどをヒアリングをし「一授業入魂」致します! 単なる体験授業に終わらせません!

詳しくはこちら

女子高校生